PRO1D R72を手にした切実な理由 by 澤村 徹
昔話をしていいだろうか。はじめて買ったケンコーPRO1D R72は77ミリ径だった。時はいまから十年以上遡る。2009年1月、ケンコーPRO1D R72の発売から3ヶ月ほどたったとき、対応するレンズを買う前に77ミリ径のPRO1D R72を手に入れた。大切なことなのでもう一度いっておく。肝心のレンズを買う前に、対応口径の赤外線フィルターを買ってしまった。それほど切実な理由があったのだ。
当時、僕はライカM8で赤外線撮影していた。ライカM8は内蔵するローパスフィルターが極端に薄く、赤外線フィルターを付けると手持ち撮影可能なシャッター速度で赤外線写真が撮れる。ただし、ピント合わせに大きな難点を抱えたカメラなのだ。
ライブビューのあるカメラなら、赤外線撮影でも目で見た通りにピント合わせすればいい。しかし、ライカM8はそうはいかないのだ。初代デジタルレンジファインダー機のライカM8にライブビューなんて洒落た機能はない。フィルム時代と変わらぬ光学式のレンジファインダーのみ。周知の通り、可視光線下でどんなに正確にピントを合わせても、赤外線撮影ではピンボケを量産するばかりだ。
この場合、レンズの合焦位置を手動で動かす。レンズに赤外線指標があればそこにピント位置を動かせばいい。しかし、赤外線指標がないレンズはピントブラケットよろしく自力で合焦ポイントを探さなければならない。しかも手動でピントシフトするため、合焦精度に多くは望めない。試行錯誤の結果、広角レンズで赤外線撮影することにした。
広角レンズなら被写界深度が深いので、手動でピントシフトしてもそれなりに合焦する。ピント合わせにナーバスにならずに済むのがいい。また、ライカM8で赤外線写真が撮れるといっても、ISOがベース感度だとかなりシャッター速度が遅くなる。晴天下で1/60秒をキープできればラッキー。1/15秒ぐらいに低下することもめずらしくない。手ブレ対策という観点からも広角レンズが理にかなっている。
しかし、広角なら何でもいいという話ではない。ライカM8のイメージセンサーはAPS-H、装着したレンズの焦点距離は1.3倍になる。広角然とした画角を保つには超広角レンズが必要だ。そこで白羽の矢を立てたのが、当時ライカM8向けに発売されたSuper-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.だ。18ミリという超広角仕様で、APS-HのライカM8では35ミリ判換算23ミリ相当になる。これだけ広い画角ならM8赤外のパートナーとして申し分ないだろう。
ところが、である。Super-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.はフィルター装着のために別途アタッチメントが必要で、このアタッチメントが77ミリ径という特大サイズだった。フィルターは口径が大きくなるほど高額だ。この当時、日本国内ではスクリュー式の赤外線フィルターが販売されておらず、海外製を通販などで買っていた。しかし、77ミリ径ともなるとおいそれと買える金額ではない。送料だって無視できない額になる。そんな八方塞がりのときに、ケンコーPRO1D R72が発売になったのだ。
PRO1D R72は一眼レフレンズ向けの大口径タイプが揃い、しかも国内販売なので為替レートに振りまわされる心配もない。肝心のレンズを持っていないのに、77ミリ径のPRO1D R72を先んじて買ってしまった。ここまで辛抱強く読んでくれた読者はおわかりだろうが、とかくM8赤外は面倒くさい。Super-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.を買って、PRO1D R72を装着して、それで新たな世界が拓かれるのなら万々歳。この赤外線フィルターさえあれば何とかなる......、そんな期待感を抑えられなかったのだ。
77ミリ径のPRO1D R72を購入した数ヶ月後、満を持してSuper-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.を迎え入れた。果たしてこの組み合わせで新たな赤外の世界が開かれたのか......。結論からいうと、ちょっと期待値が大きすぎた。このレンズは開放F値が暗くてシャッタースピードが稼げない。ISO感度を上げて1/15秒を下回らないようにし、ていねいにシャッターを切っていく。よほど天気が良くないと絞れない。M8赤外の呪縛はどこまでも根深いのだ。
しかし、画質面は大満足だった。PRO1D R72はIR720相当なのでスノー効果(葉が明るく写る現象)が抜群だ。空もストンと暗くなる。カラースワップ後の発色は地味だが、もともとカラーとモノクロの中間ぐらいの赤外線写真を狙っていたので、PRO1D R72が生み出す落ち着きのある絵作りはうまく好みと合致した。あれから十余年、いまでもSuper-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.で赤外線撮影するときはPRO1D R72を愛用している。
これまで色々なデジタルカメラで赤外線撮影を試してみたが、ライカM8ほど無改造で赤外線感度の高いカメラを知らない。フルスペクトラム機とはまたちがった魅力のあるカメラだ。
Super-Elmar-M F3.8/18mm ASPH.は前玉が大きく飛び出しており、そのためアタッチメントを介してフィルターを装着する。フィルター径は77ミリで、レンジファインダー機用レンズとしては特大サイズだ。
赤外線フィルターは真っ黒なものが多いが、PRO1D R72はマルチコート済みで黄緑や青緑っぽく見える。77ミリ径は当時のシリーズ最大径で、現在は82ミリ径が追加されている。
作例
カラースワップしてほぼそのままの画像だ。わずかに褐色を帯びた白い葉が美しい。空の地味は青みが好みだ。
逆光だと空が思ったほど暗くならないが、スノー効果は申し分ないだろう。色づいたゴーストが興を添える。
白い葉のボリューム感に圧倒される。こういう写真が撮れると、赤外線撮影をやっていてよかったと実感する。
11月の不忍池だ。枯れた葉ばかりの光景だが、赤外線撮影すると世界を漂白したような写りになる。
モノクロチックに仕上げてみた。空と海が極端に暗く、普通のモノクロとは一線を画した写りだ。
PRO1D R72だとカラースワップ後の青みが控えめで、こうしたシックな仕上げが作りやすい。色作りを踏まえて赤外線フィルターを選びたい。
暗いのに明るい。暗闇で巨大ストロボを直灯で焚いたような写りだ。こうした写りも赤外線写真ならではだ。